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佐々木敦の批評ブログ
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2007年 06月 14日

「ブラック・スワン」第2回

(2)

話を続ける前に先回りして述べておく。四未満は、正確に言うと四未満のモデルとなった人物は(断っておくが彼の「本名」は「シマダ」ではない)、もうこの世にはいない。彼はあれから数年後に「事故」で亡くなった。そのすこし前に「四未満」は深夜に自宅アパートの上階から飛び降りて片足を骨折するという事件を起こしており、仕事を休んで療養中の間の出来事だったという。そういった一連の経緯を私は「安本」からの突然の、数年ぶりの電話で知った。通夜にも葬儀にも行かなかった。行けなかったのではなく、行かなかった。「事故」の詳細も知らないままだ。知りたいとは思わず、知ろうともしなかった。つまり私は「四未満」の死については何一つ語る術がなく、その資格もない。だからただ事実のみを記しておくことにする。
 私はこの物語の中で、このあとも何人かの死者について書くだろう。しかしそれはいかなる意味でも追悼の為ではない。亡くなった人間への想いは、すべて生きている側の納得だ。死んでしまった者は過去にしか居ない。記憶を探ればそこには必ず何人かの死者たちが居る。それだけのことであり、それだけではないと思う錯誤から生き残った者の傲慢が始まる。それだけというわけにはいかないという傲慢から生き延びた者の錯誤が始まる。閑話休題。

 驚いたのは、四未満がどうやってか池袋の文芸座と交渉して、地下の映画館を撮影のために半日借りる段取りをつけてきたことだった。上映終了後から翌朝までという徹夜コースではあったが、何ひとつ信用できる要素など無かったはずの彼が、よくOKしてもらえたものだと思う。もっとも四未満は目的のためには手段を選ばず、というか明白に強引な一種のヤマ師的属性があって、おそらく飛び込みであれこれウソ混じりに捲し立ててむりやり押し切ったのではないか。というのも何しろ、ブラック・スワンにはシナリオはおろかシノプシスの類いも企画書も存在しておらず、僕の知るかぎり数頁の殴り書きのメモと、断片的な絵コンテのようなものがあっただけだったからだ。つまりそもそもどんな映画であるのかも皆目不明で、それは文芸座の人にとっては当然そうだっただろうし、僕にとっても同じで、おそらく、というか今となっては確信を持って断言できることだが、四未満自身にもあの映画の全体像は最後まで見えていないままだったのだと思う。であるならばせめてもう少し中味を煮詰めてから現実の撮影に臨んだらよさそうなものだが、しかし思い立ったらすぐにやらないとどうしても気が済まないのが四未満の性分であって、自分の興味や熱意は一定時間以上持続しないということを彼はそれまでの二十年と少しの人生の中で既に学んできていた。不意に飽きちゃうのが怖いんだよと言いながら、実際このときも彼は結果的には中途で飽きてしまったのだった。
 どうして映画館という特殊な空間が撮影場所に選ばれたのかといえば、それは人物の背景にスクリーンのような大きな白地の壁が欲しかったからということに尽きる。四未満は映画館の他にそういう場所を思いつかなかったのだ。彼のイメージにあったのは、よくあるプレーンな撮影スタジオのようなものだったと思うのだが(というのはその頃には彼はそうした商業スタジオでよくバイトをしていたから)、つまりはそうした所を借りれるだけの予算がなかったというだけで、その他の理由は何もなかった。いちおう折角だからという感じで客席の椅子の辺りでも何カットか撮ったりもしたが、それらは絵コンテもなくあからさまにその場の思いつきでしかなかった。
 その夜に撮影されたのは時間にすれば全部併せてもせいぜいが三十数分くらいだったと思うが、ほとんどは何も映っていないスクリーンの前で黒ずくめの男がタバコを吹かしたりジッポのライターをいじったり、画面の右から左へ或いはその逆に何度も横切って歩いたり、カメラを見据えたり目を逸らして俯いたりするなどといった実に貧しい映像ばかりだった。ではなぜスクリーンが人物バックに必要だったのかというと、実はそれにも大した理由はないのだが、それはまた後で書くことにして、ブラック・スワン計画の端緒に立ち戻ることにしよう。
 大学の映画研究会に籍を置き、ピンク映画の撮影や照明の技術スタッフとして仕事をするようになっていたとはいえ、僕の印象では、四未満は映画というメディアに対する思い入れらしきものは、どちらかといえば希薄だった。もちろん新旧の映画を人並み以上によく見てはいたし、自分で映画を撮ろうとまでしたのだから、好きだったことは間違いないが、だが彼は同時に小説らしきものを書いて何度か賞に応募したりもしていたし、高校までは油絵も描いていたといい、そういえば素人のレヴェルは明らかに超えた、かなり達者な筆致の劇画タッチの自作マンガを持ってきたこともあった。彼がいちばん好きなのは明らかに音楽だったが、ギターを少し弾けるだけで、バンドを組んだりしたこともなかったと思う。四未満は要するに何かを表現するひとになりたかったのだ。そしてそれによって他人からも評価され、しかもそれで食べていくことも出来るというのが彼の夢だった。そしてその手段は映画であっても小説であってもマンガであっても他の何かであってもおそらくよかったのだ。こう書くとまったくもってよくありがちな勘違いお芸術青年の夢想のように思えるかもしれないし、そしてそれは確かにある意味ではそうなのだが、当時の僕はそんな四未満の、いうなればクリエイティヴな初期衝動と人生における成功願望とが見事なまでに合致している様子に、羨望と違和感がないまぜになったような奇妙な魅力を感じることがあった。まずもって、それは自分には決定的に欠けている属性だと思えた。映画を見るために/撮るために東京にやってきたつもりでいて、実際に映画を見たり撮ったりすることだけで、ほぼ大学時代に相当する数年間を費やしてしまったとはいえ、それでも僕は映画が自分の一生の仕事になりうるなどとはやはり考えてはいなかったと思う。さりとて四未満のように他の表現手段にも手を染めたりしていたというのでもなければ、そもそもそんな欲望がなく、しかしごく普通の意味での就職ということも早い段階で諦めてしまっていた。醒めていたとかいうのでもなく、ただ毎日、いまだ誰でもない時期の誰しもが等しく持っている将来への不安の予感を無意識に先送りにして、映画館の暗がりに逃げ込んでいた。わずか数年後の自分の未来にさえリアリティのかけらも感じられないまま、つまりはなんにも考えていなかったのだ。そんな僕からしたら、四未満のめくるめく野心(?)は、それが傍目にも相当に空回りしているという意味では時として滑稽でもあったが、しかしこいつは今に突然ホームランを打つんじゃないかという根拠のない期待を一度も抱かなかったといえば嘘になる。それは期待ではなく不安だったのかもしれないが。
 ブラック・スワンがリーズナブルな8ミリ・フィルムではなく、最初から16ミリという貧乏学生(既にほぼ学生でさえなかったのだが)には簡単に手が出せないスペックで製作されることになったのも、四未満の「野心」が作用していたのだと思う。彼は自分の映画を趣味の延長として考えてはいなかった。彼は本気で映画監督として「デビュー」するつもりで、ブラック・スワンを撮ろうとしたのだった。とはいえ、これまでに記してきたことだけでも、その意気込みと現実がほとんど繋がっていなかったことは火を見るよりも明らかではある。だが、ならば四未満とはただの無能な空想家に過ぎなかったのかといえば、それは絶対に違うと言い切れる。この点は非常に重要なことで、四未満の名誉のためにもここではっきりさせておきたいのだが、彼は僕がこれまでに出会ってきた中でも、際立って才気走った人間のひとりだった。彼は結局、彼がなりたかったであろう何者にもなることはなかったが、はなからなれなかったものだとは僕は思わない。それはただの結果だ。むろんその結果の残酷さを受け入れなくてはならないとはいえ。これはいま、あの頃を顧みて漸くわかった気がしているのだが、むしろ四未満は、その才気がひた走る速度と時間の流れがちぐはぐなだけだったのだと思う。彼は何かを思いつくと、そのありうべき結果がすぐに頭に浮かび、たちまち待ち切れなくなってしまい、あいだがスッポリと抜け落ちてしまうのだ。まるでタイムワープするみたいに。だから当然、結果は惨憺たるものになってしまうわけだが、もしもプロセスがちゃんと埋められていたなら、彼はきっと誰にも真似の出来ないようなものを造り上げたことだろう。これでは何の名誉回復にもなっていないかもしれないが、ともあれブラック・スワンはいわば、幻の傑作ならぬ傑作の幻となるべく運命づけられていた。四未満の才能(それは妄想とも言い換えられるものかもしれないが)は光の速さにも比するスピードで映画の完成までに必要な具体的時間をあっという間に通り過し、何も映っていない文芸座の真白なスクリーンにはブラック・スワンという題名の映画がすでに映写されていたのかもしれない。現実のあの夜の撮影は、だから四未満自身にとってはドップラー効果による残響のようなものだったのだ。
 ところで四未満の無謀さは、当日、撮影技師の役職を仰せつかった僕が、しかし実は16ミリ・キャメラを操るのはまったく生まれて初めての経験だった、ということにも如実に現れていた。ちょっと細かい話になるが、当時の自主映画・個人映画の世界では、コマ撮りとか多重露光とか、キャメラ内でのテクニカルな操作に優れていたボレックスというキャメラに人気があり、僕も映画青年の例に漏れず、いつか16ミリを自分で撮るのならボレックスで、などと考えていた。だから四未満から16ミリ・キャメラを扱ってほしいと頼まれたときには、ならば是非ともボレックスをレンタルしてくれと希望を告げておいたのが、その夜に彼が運んできたのは、どちらかといえばよりプロ仕様のアリフレックスというキャメラだった。四未満が出入りしていた映像制作プロダクションの関係からアリの方が借りやすかったということだとは思うが、悪びれもせず「アリになっちゃったよ」と軽く云われて僕はかなり驚き、次いでガッカリした。そして内心、困り果てた。なにしろボレックスのことしか調べていなかったから。しかしそれでも無理矢理、僕はにわかディレクター・オブ・フォトグラフィーとして奮闘し、監督にして主演俳優でもある四未満の指揮のもと、明け方まで撮影は続いたのだった。
by ATSAS | 2007-06-14 10:13 | WORK
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