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2007年 06月 14日
(3)
私が最後に「四未満」と会ったのは、まだ映画館で働いていた頃であったから、80年代の終わりくらいだったということになるだろうか。私は彼の正確な没年さえ記憶していない。もちろん少し調べたら分かることだが、このメモワールを書き出してから既に半年が経過しているというのに、一度もそうしようとはしなかった。これは彼のことに限らずのことではあるが、そしてそれはなぜなのかと問われたら長い長い返答を用意しなくてはならないのだが、いつのまにか自分は時間がもたらす忘却の作用に決して抗わないような生き方を選択してきたのだった。記憶が薄れる、というのはどういうことだろうか。私は「四未満」のことを、いつまで覚えているのだろう。いつまで?、どれほど?。いつから私は彼のことを忘れ始めたのだろうか。何から、どこから忘れ始めたのだろう。 しかしともかく最後の時のことはまだ覚えている。その日の勤務は遅番で、夕方に映画館に着くとメモが残っていて、開館まもない午前に私の友人だと名乗る男が訪ねてきたという。対応した同僚が出勤時間を伝えると、ではその頃にもういちど来てみるとだけ云い置いて、その人物は名前も言わず立ち去った。それが誰なのか私にはまったく見当が付かなかったのだが、ちょうどロードショーの最終回が始まる時間に合わせて「四未満」はふらりと現れた。その時点でおそらく一年近くは顔を合わせておらず、電話で話すこともほとんどなかったので、ずいぶんと久しぶりな気がした。しかし久々だからといって特別な用件がある風でもなく、映画館のチケットカウンター越しにこちらを覗き込んだ瞳も別段懐かしそうでもなくて、仕事が不意に飛んだから、ちょっと顔を出そうかと思って、とまるでふと思いついただけのように、彼は私を食事に誘った。そういう「四未満」の無軌道な振る舞いには学生時代に慣れっこになっていたから、私は彼の気紛れに付き合ってみようという気になり、休憩時間に彼と待ち合わせて、近くの中華料理店でラーメンを食べたのだった。 彼は大学を中退してから、映画の照明技師の助手をして生活していた(より正確に言えば、最初は撮影技師に附いていたのだが、理由は定かではないが程なくして照明に転身した)。とはいってもいわゆる本編の映画の仕事は滅多になく、彼の師匠の出自でもあったピンク映画がメインであり、時々もう少し大きな予算のロマンポルノや、ちょうど当時出てきたVシネマの類いの現場が舞い込むという程度で、他はカラオケのビデオや演歌や売れない歌謡曲のプロモフィルムといったところだったようだ。しかし受容はかなりあったようで、フルタイムで助手を始めてからさほど経たない間に彼は照明技師として一本立ちした。ちょうど浮き立つバブル景気の最中でもあり、典型的な貧乏学生のライフスタイルであった嘗てと較べたら、いまだそんな状況から抜け出せないままだった私からすると彼の羽振りはかなり良いように思えた。もしかするとそんな生活レベルのずれも、次第に疎遠になっていったことと関係していたのかもしれない。 近況を、というよりも、彼はついその前日に戻ってきたばかりの旅について語った。それは名前を出せば今でも多くの人が知っている筈の元アイドル歌手が主演する「セクシー・ビデオ」の撮影の仕事で、タヒチだったかに行ってきたという話だった。事務所の社長が、その娘とデキてるんだよ。ビデオなんて体の良い口実で、何もかもがそのふたりが浮気を楽しむためにセットアップされてるんだ。スタッフの全員が、もう末端も末端のADに至るまで、それを知っている。だってそのための、それだけのためのビデオなんだからさ結局は。でもそれは勿論、ないことになってるわけだ。だからすごく変だよ。滑稽というよりも気持ちが悪いよ。やる気をなくすとかじゃなくて、みんな最初からわかっててタヒチまで行ってるんだし、だからまあ相当に手を抜いても構わないし実際手抜きばかりになるわけだけど、やたら風景だけは綺麗でさ、太陽が凄くて、でもどんどん気持ちが悪くなってくるんだよね。 あまり具体的には話そうとはしなかったが、どうやら「四未満」は体調を崩し撮影を一日早く切り上げて帰国して来てしまったらしかった。大きく分ければ同じ「映画」の業界ということにはなるとはいえ、まったく異なった職種に就いていた私にはただ「大変なんだなあ」などと頷いてみせることくらいしか出来なかった。口ぶりには憂いや焦燥が滲み出ていたものの、暫くぶりに見た彼はむしろ以前よりも元気そうに見えた。もともと彫りの深い顔立ちではあったが(それは彼の出身とも関係があったのかもしれない)、タヒチ帰りということもあってか肌はかなり焼けており、艶艶と黒光りする顔の中で双つの眼球だけが妙に澄んだ輝きを湛えていて、表情にはうっすらと微笑が浮かんでさえいて、話の内容とは真逆に、快活で明朗な、いわゆるイケイケのヴァイタルな人物に変身してしまったようにさえ見えた。それが昔の彼の、口ではやたらとエネルギッシュに大仰な夢を語るが、それでいて表情はいつも奇妙な陰鬱さに覆われていた様子と対照的な気がして、そこで私はやっと、時が流れていたということに思い至ったのだった。 ラーメンをスープまで全て呑み切って、底に記された竜の絵をじっと見据えていた「四未満」は、まるで独り言のように、しかし私をまっすぐに見ながらこんなことを呟いた。「この店には赤いものが多過ぎるな。赤が多いのはよくない。赤がこんなにあるなら緑か黄を入れないとバランスが取れない」。それはあまりにも唐突で、私はすぐには返事が出来なかった。すると彼はひどく機嫌が良さそうに破顔し、続けて言った。「おかしなことを言うと思ってるだろう?。俺はおかしなことを言うようになったんだ。それは最近のことだが、俺はおかしいんだ」。なぜかはわからなかったが、私も一緒に笑っていた。「お前も俺がおかしいと思っただろう?」「ああ、お前はおかしい。気をつけたほうがいい」。薄ら寒いような、おそろしいような、哀しいような感じがしていた。しかし同時に、何でもないことのような気もした。われわれは再会を約して映画館の前で別れた。 これが「四未満」との最後の思い出である。 「ブラック・スワン」の撮影に僕か関わったのは、結局その一夜限りになった。半ば予想どおりだったが徹夜でやっても時間が足らなくなり、四未満は絵コンテを予定してきたカットを大幅に省略することを余儀なくされたが、特に残念そうでもなかった。寧ろかなり満足げで、映画の全容がまったく見えないまま、ひたすらこき使われた僕らスタッフの疲労をよそに、ひとり高揚していた。一応スクリプターということになっていたT女子大の女の子などは途中から明らかに撮影に興味を失って、後半はずっと客席の端の方で居眠りをしていたが、彼はまったく気にしていないようだった。その時点ではクランク・インということになっていた撮影はともあれ無事に終了し、僕は四未満と大戸屋で朝ご飯を食べて、下宿に帰って爆睡した。 さて、ここでなぜ撮影の際、背景に白いスクリーンが必要だったのかということの種明かしをしたいと思うのだが、そのためには記念すべき「ブラック・スワン」第一回(にして唯一の)撮影分の現像されたフィルムを見た時の話をするのが早い。それは池袋文芸座地下の夜から二週間ほど過ぎた頃だったと思う。四未満から電話があり、フィルムが上がってきたので見に来いと言う。そこで僕は西武新宿線の奥の駅にある彼のアパートを訪ねた。最初にも述べたが、T女の「スクリプター」の女の子も一緒だった筈だ。フィルムを見せる、とは言ったものの、それはちゃんと映写するということではなくて、文字通り、現像されたフィルムを見る、という会合だった。つまり四未満はわれわれの前にロールされたフィルムを置き、白い手袋をした指でそれを長々と引っぱり出して、幾つかのショットを1コマずつ開陳したのだった。 四未満扮する黒装束の男が一人芝居とも呼べないような単なる行為を何度も繰り返すさまが、そこには映っていた筈だ。それは16ミリフィルムのコマを灯りに透かして見ることでも確認できた。彼のバックは白く飛んでいて、まるで何もない画面の中で黒い人物が右往左往しているだけに見える。四未満は撮影時の興奮状態からは既に脱していて、いつもの雰囲気に戻っていたが、仕上がりは上々だ、よくやってくれたとカメラマンの僕を褒めてくれてから、近々に第二回の撮影に臨むつもりだと声高に述べ立てた。またスタジオを借りて、壁とかにこのフィルムを映写して、それに合わせてもうひとりの俺とヒロインとが芝居をするんだ。今度からは台詞もある。いま書いているところだが、大部分は映画や小説からの引用になるだろう。外の二人には映像の中の俺の姿が見えていない。ずっと無視して会話してる。けれどこの映画の主人公は映像の方の俺なんだ。しかしまずはヒロインを演じる女優を決定しなければならない。 実際のところ、四未満の構想はよくわからなかった。映像の中と外がどのように関係しているのか、関係ないのならどうして映像が必要なのか、いったいこの映画にストーリーと呼べるものはあるのか、そもそも「ブラック・スワン」とは何のことなのか、断片的にはあれこれ口にしていた筈だが、その全容はまるで掴めないままだったし、突っ込んだ質問を許さないムードがいつしか彼の周りには生じていた。それはアーティスティックな秘密主義のせいなどではなく、要するに本人もまだよく考えていないせいだということを、僕はとっくに勘づいていたが、だからこそ四未満に詳しく尋ねることができなかった。ともあれこの時点では、僕は当然その後の撮影にも自分が呼ばれるものだと思っていたし、どう考えてみても四未満もそのつもりだったのに違いない。 ところが、なぜかそうはならなかった。「ブラック・スワン」に関して、その後、四未満からの連絡はぱったりと途絶えた。その頃は僕もほとんど大学には行かないようになっていたので、彼と顔を合わせる機会は約束をしなければ偶然にどこかの映画館か上映会場で会うぐらいしかなく、おそらくそのようにしてすれ違ったことも何度かはあった筈だが、映画はどうなってるの?と訊いてみても、また連絡するわ、と答えるのみだった。僕としてはひょっとして早くも飽きてしまったのか、あるいは予測していなかった何らかの問題に遭遇して撮影自体が中絶を余儀なくされたか、そのいずれかだと思い、ちょうど自分も8ミリ映画を作っていて忙しくしていた時期でもあり、そのまま暫く放っておいたのだ。 「ブラック・スワン」の撮影が、僕の知らぬ間にその後も継続していたことを知ったのは、安本からの情報によってだった。安本は一度だけだが撮影を手伝ったという。それはしかし有栖川公園でひとりの女性が何者かから逃げるように疾走するという謎のシーンで、そんな場面のことは僕は一度も四未満からは聞かされていなかったし、その女優が誰なのか、ひょっとしたらあの「スクリプター」の子なのか、それとも前に言っていたヒロインが決定したのか、まるでわからなかった。反対に安本の方は、四未満から文芸座での撮影のことを全然聞いていなかった。もしかしたら別の映画なのではないかとも思ったが、安本も「ブラック・スワン」という題名は覚えていて、だとすればそれはやはり同じ映画だったのだろう。四未満は安本に対して、矢上は最近ひどく忙しいみたいだから、ちょっと助監督を頼みたい、と言ったそうだ。 どうして「ブラック・スワン」から僕が外されたのか、その理由を知ることはついぞなかった。四未満とはその後も付き合いが続いたが、この件については互いに話すことを忌避するようなムードが生まれていて、そのまま曖昧に忘れ去られていった。映画が完成しなかったことは間違いないと思う。もしも出来上がっていたら、さすがに僕にも知らされただろう。しかし四未満は安本に、あと一回か二回で撮影は全部終わる、と言ったそうだから、かなりの所までは進んでいたわけだ。それならば尚更に、なぜ完成に至らなかったのか、という疑問は残る。しかしこれはもはや誰にもわからない。その後、四未満はもちろん、安本も、他の友人たちも、この映画について何一つ話題にすることはなかった。それはつまり、最初からなかったのとほとんど同じことになったのだが、しかし確かにそれはあったのだ。
by ATSAS
| 2007-06-14 10:12
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