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佐々木敦の批評ブログ
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2007年 06月 05日

「イズミズム」第6回(QJ連載)

・下のエントリの次の回。「イズミズム」はこの後、予告通りには進まず、悩んだ末に連載8回目で中絶することになる。こないだの「LIFE」の「運動」の回には出演出来ず/睡魔にも勝てなかったので、まだ聴けていないのだが、僕なりのひとつの「運動」観を述べた文章としてアプしておきます。

ISMISM6

 『ネオリベ化する公共圏』は、2005年12月20日に早稲田大学文学部キャンパスで起こった、いわゆる「ビラ撒き不当逮捕事件」に対する抗議運動から直接的に派生した論集で、同運動に実践的にも携わっている花咲政之輔とスガ秀実が編者を務めている。2001年のサークル地下部室強制撤去に端を発する、早稲田大における一連の出来事のドキュメントという側面のみならず、タイトルにも示されているように、より幅広い視点で、現在この国で進行する「ネオリベラリズム」的バイアスへの批判を試みたものと言える。酒井直樹やマイケル・ハート、宮沢章夫や松沢呉一といった方々が寄稿しており、ムック・サイズの本の厚みに比して内容はかなりヴァラエティに富んでいる(丸川哲史は何故昔の筆名で寄稿していて、プロフィールにも丸川としての記述がないのだろうか?)。だが、今回の眼目はこの論集の中味を吟味することにはない。こういう本は先の「事件」も「運動」もまだよく知らない人に読まれてこそポジティヴな意味を持つ。興味を抱いた人はぜひ手に取ってみてほしいと思う。
 では何の話かといえば、実は僕もこの論集に原稿を書くことになっていたのだ。いや、実際に書いてもいたのだが、最後の最後で落としてしまったのである。元々は「不当逮捕」への反対アピールの署名がネットで募られていて、たまたま見つけて署名したのがきっかけで出版社の方から依頼を受けたのだった。時間的にもギリギリ(のギリ)までお待たせしたあげく、どうしても決心がつかず(どう「決心」がつかなかったのかは後で触れる)結局、脱稿を断念してしまった。メールを頂いた花咲氏を始め関係者諸氏にはご迷惑をお掛けして誠に申し訳なく思っている。にもかかわらず刊行の際には献本して下さった担当編集者の寛大さにもお礼申し上げたい(なんだか私信みたいですみません)。
 当初の依頼は、いちおう僕の専門ということになっている音楽の世界に材を取って、今日的な「監視/管理社会化」への批判を、というようなことだったのだが、そういったテーマであれば僕よりもはるかに適任の書き手が存在しているのはあまりにも自明のことなので、僕としてはむしろ、そのような「批判」という事の成立の根拠を、原理的にというよりはどちらかといえば具体的に、問い直してみるようなものを書いてみようとしていたのだった。以下、幻に終わった文章のアウトラインを記してみたい。
 本誌前号で僕は北沢夏音氏と小沢健二に関する対談をしたが、この文章もオザケンのことから始まることになっていた。インスト・アルバム『毎日の環境学』と、季刊誌『子どもと昔話』に連載中の長編創作童話「うさぎ!」は、ちょっと驚くほどあからさまに「反グローバリズム」を主題としている。対談でも話したことなので仔細は省略するが、僕はオザケンの政治的(?)主張それ自体よりも、彼が自作の音楽や書き物に込めた「メッセージ」の、ややこしい言い方になるが現し方と隠し方との些か不可解なアンバランスさに、とても興味をそそられた。
 オザケンがやっていることは、ファンやシーンやメディアや社会に対する自らの発言力や影響力や煽動力を把握した上での、何らかの具体的な目的意識を持った行動とは明らかに一線を画している。ちゃんと読み解こうとすれば、そこに歴然と現れてくる筈の「メッセージ」の痛烈さからすると、それは奇妙なまでに控えめというか、はっきり言えば迂遠なのだ。しかしそれは、ごく単純に、伝わる人にだけ伝わればいい、というようなことでもない。闘うのなら、もっと思い切り誰にもわかるように拳を挙げてみせればよいのに、オザケンはそうはせず、だが戦略的に巧妙に主題を覆い隠すようなこともしない。見方によっては、このような彼の態度はどっちつかずに思えるのかもしれない。
 ここに小沢健二というパーソナリティの(よくも悪くも?)特異なありようを見て取るのは、もちろん間違いではないだろう。だが僕には、彼のこのような屈折した(とやはり言うべきだろう)姿勢が、オザケンがそこに含まれる「世代」(ここには僕自身も含まれる)が多かれ少なかれ持っている、ある種の特徴をクリアに示しているように思えるのだ。
 小沢健二は一九六八年(昭和四十三年)生まれである。ちなみに僕は一九六四年(昭和三十九年)生まれだ。四年の違いは決して無視出来るものではないし、東京に生まれ育ったオザケンと高校まで地方にいた僕をそのまま同列に並べることも出来ないとは思うが、話を円滑に進めるために僕自身の体験も交えながら語ってみることにする。
 自分が学生時代を過ごした「八十年代」を思い返してみると、もちろん諸々の政治的な「運動」や「闘争」はあちこちで継続していたものの、大方の若者にとっては、それらはあまりピンと来るものではなかった、というか、ほとんどピンと来なかったのではないかと思う。僕もそうだった。世代的には僕らはいわゆる「シラケ世代」よりも更に少し下の世代に当たり、たとえば「ノンポリ」という言葉はまだ聞かれたりしたものの、概ね「ノンポリ」であることさえ意識することなく日々を送っていたというのが正直な所だった。高度経済成長からバブル期への途上にあって、僕らは消費社会と情報化とプレ・オタク的サブカルチャーの爛熟を満喫していた(僕はかなり貧乏だったけれど)。この時期、いかなる意味であれポリティカルであることは、端的にダサいことだったのだ。
 しかし、残念ながら(?)そのままではありえなかったことは今や周知のとおりである。「九十年代」の到来と併せて世界は変わった。バブルが弾けて、長い長いドローンのような不況が始まった。「八十年代」を代表する知識人たちの多くはいわゆる「ポストモダンの左旋回」(仲正昌樹)を果たし、相変わらず自分たちは安全圏に置いたままで、ポリティカリー・コレクトなスタンス(やPCにクリティカルなフリをするスタンス?)を打ち出した。しかし、彼らのようにではなくても、僕らの世代の幾らかの者たちは、かつての自分があまりにも無自覚な「ノンポリ」であったことに恥じ入り、少なくとも、世界や社会がどういうことになっているのかぐらいは、自分なりに考えようとするようになっていった。
 だが率直に言って、それでも僕らは、上の世代のように、なにがしかの「運動」が世界を変革し得る(かもしれない)などという希望を新たに抱くことは出来なかったのではなかったか。少なくとも僕はそうだった。昭和三十年代生まれの最後に引っかかっている僕の個人的な記憶としては、自分より四,五歳くらい上、僕が大学一年の時に五年や六年(!)だった先輩たちの何人かは、「シラケ世代」と言われつつも、まだ(特定のセクトに属しているということではなくても)「運動」との実際的な関わりや、そうでなくても「運動」に対するある種の憧憬を保持している人がいた。けれども僕は、彼らの話を聞きながら、どこか他人事のような、なんだか絵空事を聞いているような感じを拭えなかった。その感じは「九十年代」になっても持続していた。結果として僕らは、いや僕は、個人主義、孤立主義を身に纏い、従来の「運動」や「連帯」とは別種の、敢て言うなら「政治性」を模索するようになっていったのだった。
 だからこそ(と言うのも唐突だが)、僕にはオザケンのパラドキシカルな態度が、不可解とは書いたけれども、ある意味ではとてもよく理解出来るのだ。何と言うか、僕らの世代は、たぶんどうしてもこんな風になってしまうのである。簡潔に述べてみるなら、自らのアクションが他者の動員を孕む「運動」に相即的に結びつくことへの躊躇と異和が、ここには覗いている。そのことを怖れているというのではなくて、そのことに本当に意味があるのかどうかが、どうにもよくわからない、ということなのである。
 もちろん、安易な世代論は慎むべきではある。だが僕が言いたいのは、実は現在の「運動」についてなのだ。「9.11」以降、この国でも様々な形態での「運動」が、少なくとも以前よりは色々な点で目立った形で行なわれているように見える。ところが、僕の知る限りにおいて、ではあるが、幾つかの「運動」の主体的な担い手は、僕と同じくらいの年齢か、それよりも上の世代の者、すなわち四十代以上か、せいぜいが三十代後半一一この世代は種々のメディアで責任ある立場に居る場合が多い一一と、二十代(もしくは十代)の下手をすると一回りほども若い世代が大勢を占めていて、つまりは現在、三十代の人たちが、層としてはゴッソリ抜け落ちているように思えるのだ。この層とはつまり、小沢健二が属している世代である。
 僕自身は、年齢的には「運動」の担い手たちとも近いが、メンタリティとしては、完全に「運動」に乗れていない層と同じだと思っている。本誌の昔の連載、今は『ソフトアンドハード』に収録されている幾つかの文章を読んでもらえば分かるが、僕は過去数年の間に立ち上がった幾つかの「運動」に対して、基本的にかなり懐疑的だ。それは「運動」というよりも一種の「表現」なのではないか、というのが、僕の懐疑の焦点である。だが、そこに行くのはまだ早い。
 粗雑さを承知で括るなら、要するに、「運動」というものに「希望」を持ったままでいられた世代と、「運動」への「絶望」に対して無垢な世代とが、現在形の「運動」を支えているのではないだろうか。その間に位置している、「運動」へのアンビヴァレントな懐疑をなかば無意識的に体得してしまった世代は、そこから取り残されたままでいる。その世代が、それでも自発的に何事かをしようとすると、オザケンのように、何だかよくわからないものになってしまったりする。良い悪いではなく、僕にはこのことが、ほとんど(僕らの!)宿命のようなものとして映るのである。
 若者の右傾化を憂う論調が、左翼的論壇(?)からよく聞かれもする昨今だが、実はそういうことではなくて、むしろ左右の違いを超えて、「運動」的なるものへの親和性(それはナイーヴとも言う)を、若い世代がより多く持っている、ということなのではないか。そして僕が疑いを抱き、それだけでなく思わず“引いて”しまうのは、ある具体的なひとつの「運動」の現場において、それを企図し統括する側である上の世代の者たちが、ナイーヴであるがゆえに「運動」へと動員されやすい若い世代を、真の理解に裏打ちされた、いうなれば「同志」として育成するということと、現実的な示威行為での実弾的な「数」としてのみ消費することを、ほとんど区別していない、区別出来ていないのではないか、と思えることがあるからなのである。
 たとえばデモをするのならば、群れ集って騒ぎながら練り歩くことの紛れもない愉しさや充実感(僕はそのどちらも感じませんが)と、そこで掲げられているデモンストレーションの中味への真摯なシンパシーは、僕はやはり出来得る限り一致させるべくどこかで努めるべきだと思うのだが、往々にして、多少とも繊細さや細心さを必要とする筈のそうした配慮よりも、デモとしての具体的な強度だけが重要視されがちであり、つまりはとにかく何でもいいから人を沢山集めればいいのだ、そして皆で一緒に声を挙げればいいのだ、まずは何より実践なのだ、という短絡に陥りがちなのではないか。しかしそれでは、あなたたちが嫌いな現首相とその政党がしていることと、いったいどこがどう違うというのか?。啓蒙と刷り込みはまったく違うことだし、オルグと動員も全然違う筈だ。では、現在の「運動」が身に纏っているのは前者だろうか後者だろうか。
 しかし、もっと本質的にマズいことだと思えるのは、無理矢理にであれ惹起されたあるひとつの「運動」が、現実的な意味で、撃つべき敵に対して幾らかの脅威足り得るのならばまだしも、残念なことに(と取りあえず書いておくが)おそらくほとんどそうではなくて、ともすれば、結果はどうであれ、我々はやるだけのことはやったのだ、という奇怪な納得で終わってしまうことが少なくないのではないか、ということなのである。もちろん、何もかもがあらかじめそんなことであると言ってのけるつもりは毛頭ないけれど、しかし僕はやはり、あらゆる「運動」は、何らかのレヴェルでの実効性と切っても切れないものであろうとしなくてはならない、と考える。なのにまるで正反対に、ほとんど実効性の不在を隠れた本質として持っているような「運動」というものがありはしまいか。それは大文字の「運動」ではなく、いわば小文字の「行動」の蕩尽なのであり、要するに多かれ少なかれ自己の存在証明の一種としての、そう、つまりは「表現」なのではないか……
 ……というように、そもそものオーダーとしては「現在」に対する「批判」としての「運動」を論じる筈の文章は、なぜか「現在」の「運動」に対する「批判」のようなものへと、あれよあれよという間に転じてしまい、収拾がつかなくなってしまった。いや、それでもとりあえず最後まで書くことは可能だったのかもしれないし、そうすべきであったのだとも思うのだが、僕にはどうしても脱稿することが出来なかった。しかしそれは、『ネオリベ化する公共圏』のような論集に、こんなことがダラダラ書いてある文章が紛れ込んでいたらどうなるのか?という心配(?)によるものではなく(それも確かにありましたが)、ならば一体どうしたらいいのか?、という次なる問いに、僕自身が答えられる用意がなかったからなのだ。
 実際のところ、考えれば考えるほど、この問いに答えようとすることは、非常に非常にむつかしい。なぜなら(誤解を恐れずに書いてみることにするが)、今となっては、過去のありとあらゆる「運動」も、結局は「表現」として在ったのではないのか、という疑念(?)が、ほとんど背筋が寒くなるような感覚とともに、僕の中に生じてしまっているからだ。つまり、僕の捉え方の方がおかしいのであって、根本的に「運動」というものは、いわば「実存」の問題に還元されるものなのだ、と。
 いや、もちろんそれはもとよりそうなのだ。あらゆる「運動」的なるものが「自己表現」のモメントを潜在させていることは、むしろ当然のことではある。それは人間の能動的な営みの大方がそうであるのと同じ理由で、そうなのだ。けれども、そうであるしかないこととしてそうなのだと認めることと、そうであることを自覚しつつそうであることに甘んじるのとでは、決定的な違いがある。「運動」は「表現」でもある、と客観的に述べることと、「運動」は「表現」でいいのだ、と開き直ることは、同じことではない。遊戯的(むろん真剣な遊戯だってある)な「運動=表現」が、その者の死に至ったとして、たとえそれが「実存」としての生を貫徹し得たのだと言えたとしても、それが僅かでも実効的な結果と結び付いていなければ、その者は単に犬死にでしかない、と僕は考える。だが、このような考え方が、僕なら僕の具体的な「運動」への投企をあらかじめ阻害しているのだということも、おそらく確かなことではあるのだ。それに、逆に「表現」としての「運動」が、何事かをなし得ることだってあり得る。だから、やらないよりはやったほうが、やはりましだとは言えるのではないか。しかし、しかしだよ……。
 『ネオリベ化する公共圏』の編者のひとりであるスガ秀実氏には、『革命的な、あまりに革命的な』という著書がある。副題は『「1968年の革命」史論』ではあるが、あまりに、ではあれ、「革命」ではなく「革命“的”」であるということの意味を、僕はどうしても考えてしまう。そしてまた、ある理由で完成前の段階で見ることが出来た、足立正生監督の映画『幽閉者(テロリスト)』から受けた衝撃が、僕の混乱に追い打ちをかけたのだったが、この話は次回以降に取っておくことにする。
 前号の最後で僕は「今や誰もが、自分の言葉が通じる相手にだけ話しかけているように、僕には思える。何か重要なことを伝えようとしているように見える場所であればあるほど、そう思えてならない」と書いた。今回は、その続きのつもりで書き出したのだった。だが結果としては、こんな内容になってしまった。いや、それでも実は、これはやはり「続き」であったのかもしれない。
by ATSAS | 2007-06-05 00:48 | WORK
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