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2007年 03月 29日
にしすがも創造舎特設会場で「ベケット・ラジオ」。タイトルの通り、サミュエル・ベケット作のラジオ・ドラマ2本を二人の演出家が舞台にしたもの。阿部初美演出の「残り火」は二人の主要登場人物(ヘンリー=野村昇史とエイダ=谷川清美)の他に、ステージ上で砂利を踏む音とか馬の蹄の音とかいったサウンド・エフェクトを生音でこしらえる二人の人物(福田穀と永井秀樹。彼らは途中で出てくる教師役も演じる)、更に音響担当者も舞台上に上げて、まさしく本来は音だけである筈のラジオの生ドラマを視覚的に上演するという仕掛け。原作での「海の音」をラジオのホワイト・ノイズ&混信音に変えていたのが非常に効果的だった。
続く岡田利規演出の「カスカンド」は、「開く人」=松井周が左右にスピーカーが積まれてある以外には何もない舞台中央に座し、その後方に観客席に終始背を向けたまま「声」=増田理が居て(照明も殆ど当たっていない)、原作の指示に厳密に忠実に淡々と台詞が発されていく。そこに、この小品の第三の登場人物ともいうべき音楽(原作ではマルセロ・ミハロビッチの曲が使われたそうだが今回はなんとエイフェックス・ツイン。しかも『selected ambient works, volume 2 』から!)がスピーカーから間欠的に流れ出してくる。なんと岡田さんはベケットはおろか他人の作品を演出すること自体、初体験だったということだが、敢て(いかにもチェルフィッチュ岡田利規に期待されそうな)ギミックを排して、プレーンかつシンプルに正攻法で取り組んでみせたことが却って極めて新鮮だった。とにかく二人の俳優が圧倒的に素晴らしくて、途中から異様に引き込まれていった。舞台を見つめ、台詞を聴いている筈なのに、まるでベケットを「読んで」いるような感覚がした(これはもちろん最大級の賛辞である)。会場で渡されたリーフレットの文章の中で、岡田君はこう書いている。「俳優に要求したのは、言葉を延々と継ぐことが絶対に思念を展開させることに結びつかないようにすること。ほとんどたった一つのイメージだけで上演時間を過ごすこと」。これは驚くほど精確かつ過激なベケット理解だと思う。 会場ではいろいろな人と会い、いろいろな人を見かけた(さすがに客席には俳優さんたちが沢山いらして、ちょっとドキドキしましたよ笑)。終わってウロウロしていたら、いつのまにかレセプションになっていて、僕は全く知らなかったのだが笑いちおうビールを貰って、乾杯だけする。挨拶の中で岡田君が「(ベケットを演出することは)すごく簡単だった」と述べていたのがすごく面白かった。これは不遜でも傲慢でもなく、単なる自信の現れでもなく、要するにホントにカンタンだったのだと思う。そしてカンタンであることと恐ろしくハードであることは決して矛盾しない。
by ATSAS
| 2007-03-29 23:51
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