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2007年 01月 31日
・ポエトリージャパン(http://www.poetry.ne.jp/)で買った『究極Q太郎の詩集』と望月遊馬『夜の大公園』が届いていた。
・太田出版様より森達也『日本国憲法』と大変分厚い『権力、政治、文化ーエドワード・W・サイード発言集成(上)(下)』を献本していただきました。ありがとうございます!。 ・「クロスビート」の連載。僅か1000字足らずで、書き出せば30分くらいで出来てしまうのに、どうして毎月必ずギリギリのギリになってしまうのか…先月なんか、その前の号の文末で次回は大友さんの『幽閉者』について書くと予告してあったことをすっかり忘れていて、別のネタで3分の2くらいまで書いてから思い出してイチから幽閉者で書き直し、折角書きつつあった原稿は翌月送りにしようと思って取っておいた筈なのに、今回またそれを忘れていて別ネタで書き出してしまい、途中で気付いたけどそのまま脱稿してしまった。我ながらなんじゃそりゃーという感じだ。これは「クロスビート」編集部も同意するだろうと思うのだが、おそらく現在、同誌を購読している人の半分以上、もしかしたら8割くらいは僕のコラムはすっ飛ばしているだろうと思うし、逆に僕の本を買ってくれている読者の方の大半は同コラムはチェックしていないだろう。だからやっぱりなんだか空しいし面倒くさい(!)から辞めさせてよ、と何度か担当Y嬢に頼み込んだこともあるのだが、彼女は「ワタシが編集部に在籍している限りは辞め(させ)ない」と強硬に宣言しているので、もうかれこれ8年だかも続いているわけだ。だが、今日ふと思ったのだけど、もともと僕はこういうことを昔からやってきたのだった。こういうこと、というのは、簡単に言うと「場違い」な所で「場違い」な音盤を紹介する、ということだ。なんか聞いたこともないようなヘンなものばかり書いている奴がいる、とか、ササキアツシとやらがディスク・レビューで取り上げている音はどこに行っても売ってない、などといった奇異の目、時には冷笑や揶揄とかも含めて、を全身に浴びながら僕は長年やってきたのだった。だから初心忘るるべからず的な意味では、やはりこの連載は続けてきてよかったのかもしれない。だから野外ロック・フェスのマニュアル&ドキュメント本みたくなっている「クロスビート」という雑誌に(といってもこれはクロビだけに限ったことではないが)、たとえばマッティンのことを書いてあってもいいのだ。 ・東京芸大音楽環境創造科の「音響表現論」の成績評定。メールでレポートを受け付けたのだが、どうせ人数も少ないし「全員に個別にレスするからね!」とか最後の授業で言い切ってしまったのだった。でも今はあまりに忙しいので、とりあえず点数だけでレスはおいおいということで、スミマセン。ところでレポートのテーマは「音響表現論の講義内容を批判せよ」というものだったのだが、やはりというべきか残念ながらというべきか、真っ向から「音響」とか「聴取」とか「即興」の問題に切り込んできたレポートはとても少なくて、芸大は時間数も少ないので僕はかなり意図的にツッコミどころ満載の極論ばかりを述べ立てたのだけれど(でも最初はもっともっとそうするつもりだったのだ。この講義では僕自身がリアルタイムでいろいろ考えてみたいと思っていた。でも実際に生徒たちを目の当たりにしたらやっぱり話の前提を共有することが気になってしまった。まあ程度問題かもしれないが)、その中味自体を相手にするよりも、なにゆえにこんなサブジェクトなのか、であるとか、講義の方針や進め方についてであるとか、もっとこうゆう話も聞きたかったみたいな要望とかが結果的には多かった(そしてそれらはそれらとしてはしごく正当なものが多かった)。「音響表現論の講義について感想を述べよ」とかではなく「講義“内容”を“批判”せよ」だったのには一応こちらの狙いもあったのだが。でもまあいいか。
by ATSAS
| 2007-01-31 11:45
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