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2007年 01月 11日

飛浩隆インタビュー

・このインタビューは雑誌「インビテーション」(ぴあ刊)の記事の為にEメールで行なわれたものです。誌面の制限上、大幅に編集した形での掲載になりましたが、飛氏と同誌編集部の許諾を得て、ここに質疑応答の全文を公開します。
・回答の著作権は飛浩隆氏に帰属します。
・但し、飛氏はご自身の回答をパブリック・ドメインとすることに同意しておられます。出典(当ブログ)を明記する限りにおいて、引用、転載は自由です。

●飛浩隆氏への質問(2006年1O月23日送信)

 はじめまして。この度はEメールインタビューをご快諾いただき、誠にありがとうございます。質問表をお送りするのが遅くなってしまい申し訳ございません。お忙しいところ大変恐縮ですが、よろしくお願い致します。

 質問リストの前に、3点ほど留意点を記しておきます。
1)飛さんの刊行された著作は全て読ませていただいております(当然ですが)。また日本/海外のSFについても、一定以上の知識を持っていると思います。私は1964年生まれ、飛さんとは四歳違いなのですが、著作の端々から、ほぼ同時代的な読書体験を経てきているような気が(勝手に)しております。
2)飛さんのはてなダイアリーは(毎日、というわけではありませんがしばしば)拝見しています。
3)しかし、この「インビテーション」はSF専門誌でも文芸誌でもない、幅広い文化的な情報をサーベイする月刊誌です。記事の主たる目的は飛作品を未読の、SFというジャンル自体にも余り馴染みがないような幣誌読者に向けて、飛さんの世界の魅力を出来る限り分かり易く紹介することです。

 それでは、以下が質問になります。といっても通常のいわゆる質問リストのような形をほとんど保っておりませんので、お答えになりやすい書き方で構いません。よろしくお願いします。

*新刊『ラギッド・ガール』、大変興味深く拝読しました。『グラン・ヴァカンス』で提示された圧倒的な世界観を補強・補足するばかりでなく、この巨大な連作全体の主眼が次第に明らかになってくるスリルと、いまだ明かされぬ謎や今後の展開へのサスペンスフルな期待感を大いに味わいました。まず、予告されていた〈廃園の天使〉の長編第二作『空の園丁(仮題)』の前にこうして中短編集が出ることになったのは、どのような経緯によるものでしょうか?。「ノート」で触れられているように、ハードディスクのクラッシュ(でデータが取り出せなくなったこと)が原因(?)なのでしょうか?。もしそうだとすると、あまりにも作品世界と通底した出来事とも言えるわけですが……

*飛さんのプロフィールにおける「十年の沈黙」についてなのですが、『グラン・ヴァカンス』の「ノート」にその間の事情が少し語られてはいるものの、十年というのは長い時間です。十年のブランクということよりも、十年を経てまたふたたび最前線に還ってこられたということのほうに驚きと感動を覚えます。もちろん簡単に答えられるものではないと思いますが、沈黙の理由と帰還の経緯について、可能な範囲でお答え願えないでしょうか?

*〈廃園の天使〉の構想は、いつ頃に胚胎されたのでしょうか? 『グラン・ヴァカンス』は三部作の第一作として突然、私たちの前に現れたわけですが、そこに至るまでに幾多の苦闘と試行錯誤があったことは、「ノート」などからも推察できます。最初のアイデアはどのようなものだったのでしょうか?、また十年の中で、そのアイデアはどのように育ち、変化し、熟成されてきたのでしょうか?

*〈廃園の天使〉の全貌は『空の園丁(仮題)』と更なる第三作を待たなければならないとは思いますが、この作品が三部作として構想されたことには恐らく積極的な理由があるのではないかと思えます。予告されている『空の園丁』の内容からすると、この三作は時空間的には連続しているものではないようですが、このような形式を取ることにはどのような狙いが潜んでいるのでしょうか?。もちろんネタバレを期待(!)しての質問ではなく、三つの長編が最終的に一種のトリプティクを構成するものであるとしたら、それが三つ(たとえば五つや七つではなく)であることには何か意味があるのだろうか?、ということなのですが…

*『ラギッド・ガール』収録の作品、とりわけ「ラギッド・ガール」「クローゼット」「魔述師」の三編は、非常にミステリアスだった(そしてそれゆえに非常に魅惑的だった)『グラン・ヴァカンス』の一種のタネあかし的な要素があります。物語=世界の背景となる出来事が語られているわけですが、ある意味では「タネあかし」であるがゆえに『グラン・ヴァカンス』の壮大でファンタジックな世界観を敢て俗な現実界に引き戻すというか、いわば人間的な「人間」の側へと縮小してみせている、という印象もあります。そして私見では、それは明らかに意図的なものだと思うのですが、仮想世界と現実世界の双方を並行して記述してゆくという趣向には、どのような狙いが込められているのでしょうか? また、こうしたスタイルは、今後はより浸透と相互貫入が強まっていったりするのでしょうか?

*表題にも選ばれ、飛さん自身も「ノート」にも書かれているように、短編「ラギッド・ガール」は凄まじい傑作だと思います。ここにはヴァーチャル/リアルの二分法やテクノロジカルな思弁の更に基底を成す、物語=虚構というものに対する極めて深い洞察があります。いわゆる「メタフィクション」が持つ、よくも悪くも自閉的な構造と、どれほど複雑化したとしても、むしろそうすればするほど最終的に真の「作者」だけは作品の外部に保持されてしまう、というパラドックスを、この作品を筆頭に飛作品はまったく新しい形で逆転していると思えます。
それはいわば「作者/読者」の間のスラッシュを、いかに改変/更新するか、という問いに関わるものです。このあたりの最新の知見は、たとえば東浩紀氏や大塚英志氏が、もっぱらアニメ/ゲーム/コミックといった受け手とのインタラクティヴィティのより高い分野について洞察を続けていますが、おそらく飛さんはまったく異なる回路でこのような次元に達したのではないかと思います。迂遠な質問になってしまい恐縮ですが、ご意見を伺えればと。「ラギッド・ガール」の「思ってもみない化物」についても触れていただければ幸いです。

*SFというジャンルはその大半が「未来の物語」を扱っており、それゆえ科学やテクノロジーの進展と密接な関係を持つ。しかしそれゆえにこそアップトゥデイトな変化の波に晒される運命をも背負った、つまり道具立てや世界観が古びてしまうリスクを負ったジャンルであるとされています。この点については『グラン・ヴァカンス』の「ノート」および文庫版の「ノート」でも触れられていますが、にもかかわらず「SF」であるということは、飛さんにとってどのような意味を持っているのでしょうか? つまりはSFへの熱い想いを語っていただけたらと……

*ヤボな質問になってしまいますが、お好きな/影響を受けたSF作家を、日本/海外を問わず何人か挙げていただけますか?(特に好きな作品があればそれも)。

*SFプロパー以外の小説家では? ジョン・ファウルズは『ラギッド・ガール』所収の作品で度々言及されていますね(「魔述師」も『魔術師』から?/『マゴット』との親近性も感じられます)。世代的にもしかしたら?と思うのは、いわゆるラテンアメリカ文学の作家たちなのですが、そのあたりについてはいかがでしょうか? 日本の小説家は?

*映像や絵画、あるいは音楽などからの多様なインスパイアも飛作品には満ちています。文字以外の表現から受ける影響も大きいのでしょうか?

*「詩人の筆致を持ったグレッグ・イーガン」というのが、私の飛作品への印象です。実際、読みながら常に感嘆してしまうのは、物語や設定の非凡さのみならず、飛さんの徹底的に磨き上げられた華麗な文体なのですが、推敲には相当に時間をかけるのでしょうか? もちろん『グラン・ヴァカンス』には十年が費やされているわけですが……

*離島にお住まいとのことですが、普段はどのような生活を送ってらっしゃるのでしょうか?

*次作はいよいよ『空の園丁』ですね。一ファンとしての質問ですが、いつ頃読むことができそうでしょうか? もし多少でも予告編的なご紹介をしていただければ非常に嬉しいのですが。

*日本のSFは、他ならぬ飛さんのご活躍を筆頭に、近年、復活しつつあると言われています。刊行点数やセールスにおいても、その事実は裏付けられていると思えるのですが、それは何故なのでしょうか? 長い冬の時代を脱して、いまふたたび日本のSFが復興しているとしたら、そこにはいかなる時代の変化が作用しているのか、飛さんのご意見を伺えればと思うのですが。

以上になります。
煩雑な質問表になってしまい申し訳ございません。
何卒,よろしくお願い致します。

佐々木敦

●飛浩隆氏からの回答(2006年10月25日返信)

はじめまして、飛浩隆です。
今回はこのような機会を与えていただきありがとうございました。質問表に従わない形での回答でもかまわないとのことでしたので、ある程度形を崩しつつ書いていきます。ご質問の本意には添うようつとめますが、心もとなくもあります。どうか、フォローのほどよろしくお願いします。
 しかし、質問自体がすでに誌面1ページの分量をオーバーしているのではないでしょうか(笑)。またどれひとつをとっても大問題なので、回答も凄い分量になるような気が……。というわけで原稿をまとめられる時は、原文の流れにとらわれず、前後関係も含めて自由に編集していただいてかまいません。(そのばあいこちらの「本意」にもご配慮ください。)あとInvitation誌は縦組みだったと記憶しているので、数字は漢数字にしていますが、この表記もいいようにしてください。

 『グラン・ヴァカンス』の発表までに十年を要したのは外的な要因ではなく、もっぱら自分の力不足にあります。長篇は初めてだったし、いくつかの特殊なシーンを書くには、文章技法から開発しなければなりませんでした(CGアニメの制作者がしばしばプログラム開発を手がけるように)。さらにこの作品は情緒の面でも書き手にヘビーなものを要求していて、生半可な気力では書けなかった、ということもあります。
 私のSF体験の中核にあるのは、スタイリッシュで華麗な海外SF群、とくに六十〜七十年代(一部五十年代)に書かれたものです。『グラン・ヴァカンス』の原型に着手したときは、あのカッコよかったSFの雰囲気、それを仮想リゾートというフレームでレストアしよう、それを掌篇連作で書いてみたら楽しいだろう、という気楽な構想でした。あと、仮想リゾートという背景を使ってマンディアルグの「満潮」をやってみたい、とかね。しかし蓋を開けてみるととても簡単には片づけられないモチーフがたくさん出てきて、中篇に変更。それでも収まらず最終的には六二〇枚くらいになっています。
 幸運だったのは、早川書房があたらしい日本SFの叢書を企画した時期と、この完成が一致したことで、長い空白のわりには非常に順調に出版にこぎつけました。事実の経過は、こんな感じです。

 『グラン・ヴァカンス』では、一千年も人間のやって来ない仮想リゾートを舞台に、そこで老いもせず存在しつづけるAI(仮想世界のキャラクタ)たちをあつかっています。その突然の崩壊を通して、世界の背後で進行する異変——〈天使〉を予示するというのが同作の役割ですね。千年の夏という設定は作者にとってもたいそう魅力的ですが、最終的にはこの異変の全体像を描き出さないといけない。『ラギッド・ガール』は長篇第二作『空の園丁(仮題)』に移行する準備として、この仮想世界の技術的/精神的基盤の一部を明らかにするものです。また『グラン・ヴァカンス』で示した設定をなにひとつ変えず、その“見え方” ——「人がいない」ことの意味——を一変させるものでもあります。あと、本シリーズの設定は自由度が高すぎたので、『ラギッド・ガール』でちょっと絞ってみた、という面もありますけれど。
 仮想側と現実側の両方を書くのは、この「全体像」——SF的仮構と、人間の切実な欲望と、AIの絶望と戦い、その相互作用を、より彫りふかく描き出すためです。佐々木さんのいわれる「人間的な『人間』」たちの物語は、あの儚いAIたちとおなじくらい私にとって重要なのであって、だからこれは「縮小」ではなくむしろ「拡張」でしょう。「浸透と相互貫入」こそが本連作の主題のひとつであり、これをSF的空想力、物語の興奮、文学的企みのそれぞれの側面で開花させたいと考えているのです。

 なお長篇が三部作であることに、おたずねのような意味はありません。五部作とかにしたら、生きているうちに完成できるかどうか分かりません(笑)し、書き手と読み手の持続力の限界、というところでしょう。時空的連続性については最高度のネタバレに関することなので、ノーコメントということで……。

 「ラギッド・ガール」(中篇)へのお褒めの言葉、ありがとうございます。たしかに本作は、かつてはメタフィクションの形でしかさわれなかった領域でも、現代SFの解像度が上がったことで通常のフィクションで描けるようになっている例のひとつ、と言えるかもしれません。しかし本作を自己最高作としているのは、その方面での手柄や、オリジナルな仮想空間技術を創案したこともさることながら、なにより「安奈・カスキ」と「阿形渓」という人物を造形しえたことによります。およそ小説家のかなわぬ願望のひとつは「これまでだれも造形したことのない人物をうみだす」ことであろうと思いますが、本作の最後に登場する「彼女」とその欲望のかたちは、私がその目標にもっとも近づいた瞬間です。
 「彼女」はSF以外のいかなる手法によっても描写できなかったでしょう。本作で引用した認知科学の知見もどきはかなりいいかげんですし、すぐに古びるでしょう。しかし、棒高跳びの棒に使われた技術がいつか古びたとしても、飛越の記録に影響はありません(と言いくるめておこう(笑))。

 さて、おたずねの「スラッシュ」ですけれども、これはたいへん回答が難しい。これは作者の内部の言語化しえない領域でありまして、むりやりこじ開ける(コトバにする)と小説が書けなくなるおそれがある。むしろそれは批評家にお願いしたい作業(笑)です。
 というわけで直接の回答ではないのですが、私の文体にからめて少しだけお話してみます。
 小説の文章を書く時に心がけていることがふたつあります。
 ひとつは、映画やコミックを観るよりエキサイティングで、ダイレクトな訴求力のある文章でありたい、ということです。若い世代に小説を売ろうする以上、これはどうあってもクリアしないといけない。ただし、アニメの絵コンテをそのまま文章化したような小説を読むことがあって、これは意外なほど視覚イメージが喚起されないです。ではどのような文章がいいのか、一文一文が試行錯誤の連続で、その結果があの文章です。読みにくくないことを祈っています。
 もうひとつ心がけているのは「文章で小説を作ろう」ということです。小説の設計図をしあげてから文章にうつしかえていく、というふうには(残念ながら)できなくて、文章をひたすら積み上げ、ときどき後ろに下がって今どんなものができているかを確かめては、また作業に戻るというふうに執筆していきます。目隠しをされて象を撫でる、その指が文章であると言ってもいいし、油絵にかさねていく絵筆のストロークであるといってもいい。このへんの感覚がそのまま小説のモチーフににじみでているのが「ラギッド・ガール」です。「スラッシュ」の件は、だから私の文学理論的問題意識とは別の、むしろ皮膚感覚、もっといえば性欲に近いところに由来しているかもしれませんね。
 私の文章はこのふたつのベクターを重ね合わせたもので、ちょっと気が緩むとむちゃくちゃになるものですから、たしかに推敲に時間がかかります。
 あとひとつだけつけくわえれば、『グラン・ヴァカンス』や「蜘蛛の王」で意図的に親子関係をフィーチャーしているように、ドメスティックな欲望と権力のありようは連作全体の主題のひとつですから、そのあたりも当然(メタフィクションもまた作家のドメスティックなバイオレンスであると思えば)「スラッシュ」に影響しているでしょう。
 あとは批評家の腕まえにおまかせするということで……ふふふ。
 
 さて「島」ではわりとお堅い仕事をしておりまして、一日八時間つとめたあとで、食事を作り、洗濯機を回し、風呂を沸かして、それから(気が向けば)執筆という日常。かつては早起きして時間を工面していましたが、いまは夜型にシフトしています。
 いまは『ラギッド・ガール』のあとの放電状態ですが、リハビリがわりに短いものを書いて、あとは『空の園丁』に完全に集中します。もう三〇〇枚くらいは書いているので、あと三倍書いちゃえば終わりです(笑)。時期は明言できませんが、これを書かないともう本にするストックもないし、あせってはいるので、四年もかかることはないでしょう(どきどき)。

 文字以外から受けた影響は大きいでしょうね。ただ、絵画や音楽をはっきり引用をするときは、むしろ読者の知識や世代的・個人的記憶、あるいはさまざまな感覚を喚起する意図があってやっているので、これは「影響」とはいいがたいでしょう。むしろ文章を加減速したりテクスチャを変化させるとき、スピードや密度をどう作りこんでいくかというあたり——純粋なテクニックの部分ですけれども、そのへんで音楽や映像メディアから受けた影響が出ているはずです。

 最近のSF出版がほんとうに活況を迎えているか、私は離島に逼塞しているので判断はつきません。ただ日本に限って言えば、優れた編集者(複数)が良質の企画(複数)を持続させていることは確かだし、書き手の層は物凄い厚みとひろがりをもっています。(これはやっぱりコンピュータの普及や同人マーケットの拡大で作り手側への参入障壁が低くなったせいでしょうね。)よく知らないけど、世界的に見ても空前絶後の状況なのではないかな。

ええ、ご質問にすべてお答えしたか、分からなくなってきましたが、もう、締め切りも迫っているので、このあたりでいちおう締めさせていただきます。佐々木さんの締め切りが金曜夜なのであれば、追加質問をあすの夕方(夜ではなくて!)までであれば受け付けます。
by ATSAS | 2007-01-11 13:27 | CRITIC
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