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2007年 03月 27日
豊崎由美『どれだけ読めば、気がすむの?』。とっても面白かった。トヨサキさんて莫言好きだよね(僕も好きです)。あとがきで触れられている、「わかる」「わからない」問題、は、最近の中原昌也がしつこいほどあちこちで繰り返している提言(?)や、こないだの「LIFE」の「教養」の回で語られていたことや、僕がQJの連載「イズミズム」で考えようとして破綻し、UNKNOWNMIXをまたやりたいと思ったこととかとも完全に繋がっている。
そこで思い出したので、前に「ブルータス」のCD特集に寄せたディスク・レコメンをアプしておきます。 未知なるもの、ワケのわからないもの、頭の中がクエスチョン・マークで一杯になるようなものに対する感性が、刻々と失われつつあると思います。みんな既に知ってる/分かってることばかり、知りたい/分かりたいように見える。音楽もまた然り。そこで敢て世の趨勢に叛旗を翻して(?)、何コレ?感溢れるナゾなディスクばかりを選んでみました。 CLASSIC ERASMUS FUSION / VOLCANO THE BEAR(BETA-LACTAM RING RECORDS MT092A) ヴォルケイノ・ザ・ベアーは英国レスターで結成されたカルテット。『痴愚神礼讃』で知られるエラスムスの名をタイトルに冠したこの二枚組アルバムは、独特の諧謔風味に満ちた暢気で陽気で不気味で不可解な演奏がたっぷり詰め込まれている。激ストレンジなのにどこか牧歌的な空気が素晴らしい。 GLASGOW SUNDAY / JANDEK(CORWOOD INDUSTRIES 0779 DVD) 四半世紀以上にも渡り、テキサス州ヒューストンから膨大な数のアルバムを発表している孤高のSSWジャンデック。究極のサイケとも評されるその世界は、音程感ゼロの鼻歌と弾けてないギターが特長(?)だが、一度聴いたら二度と忘れられない。これは初ライヴを収録したDVD。正に生きる伝説! CUSTOM COCK CONFUSED DEATH / HAIR STYLISTICS(CUTTING EDGE/AVEX INC. CTCR-16069) 最近インタビューや対談などで繰り返し世の中の「未知への鈍感」ぶりを嘆いている三島賞・野間文芸新人賞作家、中原昌也の音楽プロジェクト、ヘア・スタイリスティックス。暴力温泉芸者時代から一貫する(そして彼の小説の世界とも合致する)ズッコケぶりに隠された強度の批評性、そして愛。 THE MAURICIO KAGEL EDITION / MAURICIO KAGEL(WINTER & WINTER 910-128-2) 生存する最も奇矯な大作曲家であるマウリツィオ・カーゲルの豪華三枚組。凡そ高名な音楽家らしからぬトンデモないアイデアで有名だが、これも鳥笛だけのアンサンブルとか意味不明な音楽劇とか常識外れの楽曲が満載。更に3枚目のディスクは本人が監督した映画のDVD。これがまたナゾ過ぎて…! …とまあ、こんなだったわけですが、ところで以前、トヨサキさんの前著『そんなに読んでどうするの?』を読んだ際に、僕はこんなことを書いた。 今やはっきりと死に体の「文芸批評」に代わって台頭したのは「書評」ということで、この分野の先達ともいうべき永江朗や、先だって『現代SF1500冊 回天編』『同・乱闘編』(太田出版)という圧倒的な名著を上梓した大森望と並ぶ売れっ子が豊崎氏である。こんなこと僕が書くまでもないですが。この本も凄く面白い。「書評家レボリューション」は、「わかりたいあなた」と情報過飽和の交叉点から、半ば必然的に生まれてきた。現在、必要とされているのは、「批評」ではなく「ガイド」なのだ。実はこれは昔からそうだったのだが、「知」的な虚飾を纏っている余裕さえ遂になくなったということなのだと思う。最近のあらすじ本ブームや、音楽のディスク・ガイド本ブームなんかも同じ現象だと言える。いかなるジャンルにせよ、「リテラシー」を支えているのは、ある程度以上の量的&質的な受容体験であるわけだが、まさにこの本のタイトルが表わしているように、とにかく「そんなに読んで」るということ、それだけの時間と労力(とお金もかな?)を投資しているということ自体が価値なのだ。そしてそれは逆に言うと、最早ほとんど誰もそうする気がないということであり、それでも何故だか「わかりたい」という欲望だけは、どこかで空転しながらも生き延びているのだということだ。 (「イズミズム」第二回) ……今、読み直してみても、言いたいことに殆ど変化はない。今度の本の中でもトヨサキさんは「文芸批評」なるものを仮想敵にしている感があるのだが、その気持ちは痛いほどよく分かるとは思うものの、でも実はもうとっくの昔にその勝負はついているのじゃないでしょうか。今は完全に書評家の時代なのだ。トヨサキさんと同年代以下の「文芸批評家」の大半は大学教師や編集者との兼業か、フリーターでもあるか、でなければヒモか、そんなもんでしょう。 そしてしかし、「書評」だってほんとうは「批評」であるわけだし、そうありえるわけで(実際、豊崎由美の「書評」はれっきとした「文芸批評」だと僕は思う)、この二種類の違いは実のところ専ら形式的な違い(書名と作家名がテキストのタイトルになってるかどうかとか、文章の長さとか)と制度的な違い(載ってる媒体の違いとか、目次の中での扱いとか)に過ぎない。だからむしろ「文芸批評」から「書評」が切り出されてくるプロセスの方が、僕には気になる。 話をわかりやすくするために、音楽に置き換えてみよう。90年代に日本の音楽ジャーナリズムに何が起きたのかというと、これはもちろん12インチベースのクラブ・ミュージックの隆盛が大きく寄与しているのだが、レコード店バイヤーにディスク・レビューを書かせる音楽雑誌が急増したということが挙げられるだろう(それは輸入レコ屋チェーンの台頭ともパラレルな出来事だが)。この話は「LIFE」の「教養」の回の番外編で水越真希さんとも少ししたのだが、仕事柄、常に最新のリリース情報に触れているのは当然バイヤーであるわけで、それはすなわちマーケットにおける最新動向ということだが、速報性と目端の効かせ方を最大の目標とする限り、それは当然の成り行きであったのだと思う。そこで当時の僕が考えたのは、ならば自分はバイヤーに影響を与えたり、バイヤーのネタ元になるようなライターにならなくては、ということだったのだが(そして率直に言ってそれは結構成功したと思っている)、それはともかくとして、レコード・ショッピング・カタログとしてのディスク・レビューの隆盛は、情報の過飽和と商品の過剰供給とがもたらした必然ではあったのだが、たとえばクラブ系音楽が、ある時代と世代に枠取られたジャンルであったということがほぼ明らかになってしまったゼロ年代以降、それでも同じやり方しか出来ない音楽誌の多くは、これは自戒も込めて言うのだが、非常に苦しくなってしまったのではないかと思える。それは簡単に言うと、レコ屋で最新盤を買い求めるようなひとが刻々と減少してしまっているからだ。自分なりの現実認識として、僕はもはや音楽において「最新情報」の提示はほぼ意味を成さなくなっていると思う。そしてだからこそ、実は今こそ「音楽批評」と呼ばれるものが(それがどういうものなのか?という問いも含めて)重要になってきているとも思うのだ。かつては「こんなの出ましたよ」と「コレがオススメですよ」だけでも価値があった。しかし確実に状況は悪化しているのであって、それゆえに「レビュー」ではなく「批評」ということの必要性が、逆接的に生じている、というのが、今の僕の考えだ。 僕には、出版界における現在の「書評家の台頭」が、すこし昔に音楽の世界で起きていたことと、やはりどうしても重なって見えてしまう。しかも、ある意味もっとややこしくも問題だと思えることは、ある種の「ブック・レビュー」の言葉が、ありうべき「読者」に向けられているというよりも、むしろ端的に「マーケット」に、すなわち「書店員」だけに向いているとしか思えない場合があるということなのだ。そして更に、90年代の音楽におけるバイヤー=レビュワーの登場は、一時的にではあれ輸入盤市場の好況と繋がっていたのだが、こっちの方は明らかに、もはやシャレにならないほどに本が売れなくなっていっているという残酷な現実に即したものである、ということなのだ……。 実際のところ、その昔だったらば、トヨサキさんが繰り返し俎上にのっけているような、知的エリーティズムの一環として書物に臨む鼻持ちならない読者と、そんなんじゃなくて純粋な愉しみとして本を沢山読む人、という区別はあったし、その差異を強調することにも意味があった。けれどもしかし、今ではその差異は(全体の集合が縮小したせいで)ほとんどなくなってしまっているのじゃないかと僕には思える。良い悪いではなく、そういうことになってしまっているのだと。『どれだけ読めば』には、東大出版会のフリーペーパー「UP」に書かれた文章も収録されていて、テキストの冒頭には東大生へのおちょくりが掴みのネタとしてあるのだけれど、それでも確実に東大生協でこの本はかなり(おそらく他大学よりも)売れているだろうし、そもそも「UP」から依頼があるということ自体が、かつての見方からしたら思いも寄らず「敵」がすりよってきた、みたいなことなのであって(笑。でもまあ事実そうだと思うし、おそらくトヨサキさんもそう思っているだろう)、しかしそれは豊崎由美という一人の書き手の境遇の変容を示すのと同時に、ある程度以上書物を読む人というカテゴリーが、多様性を消失して収縮し、今やひとつの「業界=共同体」になりつつあるという事実をも指し示しているのではないかと思うのだ。
by ATSAS
| 2007-03-27 11:59
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