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2007年 03月 06日
・何と朝10時からの「東京芸術見本市」の木村覚×大谷能生コラボ・レクチャー「映像ショウケースー「映された」身体表現にみる戦後から現在までのアートの諸相とこれから」を聴講。こんな早い時間であるにもかかわらず、席が3分の2は埋まっている。大谷君はフリートークでない今回のような講義形式だと途端に普段の淀みない喋りから訥々とした語り口になる傾向があるのだが、今日はそれ以上に時折ナゾの間が開いて、聞いてる内に気付いたのだがコレはまるで『AA』の僕のようではないか笑。あの映画の撮影の際、僕は実は風邪で高熱を発していて、あらためて映像で観ると普段の自分とはかなり違った、やけに沈思黙考しまくりキャラに映っているのだけれど、あれは熱で頭がボーッとしていたせいで、まあそのおかげで何だか考え深い感じに見えてよかったのかもしれないが(ちなみに『AA』本の他ならぬ大谷君による青山監督インタビューで青山君が「佐々木君はああ言ってるけど、やっぱり風邪のせいだけじゃなくて彼としても話しにくい事だったのではないか」説を唱えていてくれているのだが、ホントはやっぱりそんなことはないんだけど、でもそうだということでひとつお願いします)、アレに今日の大谷君はクリソツだーと思って終わってから「もしかして熱とかある?、でなかったら朝早過ぎて眠いんでしょ?」と問うたところ、やっぱり死ぬ程眠かったとのことでした笑。皆さん、大谷能生をブッキングする場合は午前中は避けましょう。
・肝心の講義の中味だが、冒頭でお二人から、それぞれの専門領域である「ダンス(木村)」と「音楽(大谷)」の「60年代」に起こっていた諸々の実験について前半では話し、後半では2000年以降の「現在」について述べるという説明があったのだが、一時間半というヴォリュームの中ではやっぱりそれ全部をするのは無理で、こういうのにはありがちなパターンではあるけれど、予定時間を結構オーバーしながらも「現在」の部分はほんの触り程度で終わってしまったのが残念だった。この続き(?)はまた機会を改めてやるといいと思う。 以下は個人的なメモ。 ・大谷君の最近の主張は割と一貫していて、本来は一回性の出来事として生起し、それゆえに不純な神話化を蒙りがちな、たとえばフリージャズの「ある時、ある場所での、ある者(たち)による」演奏といったものが、レコードという形で「記録」されるようになったことで、その意味と意義を本質的に変容させた、そして彼はそれを能う限り前向きに肯定する、というようなことだと思うのだが(註:この理解は僕なりの言葉遣いで言い換えているので、必ずしも大谷君の実際のターミノロジーに沿ってはいないことをお断りしておく)、もちょっと簡明に述べてみるならそれは、「作品」の「記録」ということではなく、むしろ「記録」こそが「作品」なのだということだろう。そしてこの場合の「記録=レコード」とは、複製可能で流通可能なもの、つまりはレコードとかCDといったものである。 ・このあたりは『AA』で僕が話したこととも繋がってくると思うのだが、たとえば「伝説の名演」というようなものを、われわれはその場に居合わせなくとも、あるいは生まれる前のことだったりしてどうしたって居合わせるのが不可能ないわゆる「歴史」上の出来事であったとしても、それがレコード化されていれば、その「記録」を追体験することは可能だ。そこで「いやいや、やっぱりあのスゴさはあの場に居た者ではないとホントのところはわかるまい」とかいうジャズオヤジの言説があったとして、それはまあ、ハアそうですか、きっとそうなんでしょうねー羨ましいなーとか言うしかないし実際に羨ましくもあるのかもしれないが、しかしそれを「予めの欠損としては考えない」ということだ。 ・それはただ、たまたま僕がそこにはいなかった、という端的な事実性以外のことを意味しない。別段、「歴史」とか「伝説」に属するようなことでなくとも、そもそもわれわれは自分という個体の有限性の枠内でしか生きられないのだから、たとえば同じ日の同じ時間に別の場所で起きているあらゆる出来事を、われわれは刻々とリアルタイムで取り逃がし続けているわけだ。で、でもそれは要するにそれだけのことで、たとえば「記録」というテクノロジーによって、その取り逃がした何事かを事後的に、また反復的に「経験」することが出来るようになったとしても、それはやはりその時々の現在形の「経験」として、何らかの「記録」の「再生」に立ち会う、ということでしかない。 ・つまり、あるリアルタイムの「経験」と、何らかの「過去」の「記録」の受容、ということの間には、僕は最終的には本質的な違いはないと思っている。僕的には、そのどっちがもう一方より価値がある、というようなものではない。どっちも「現在」なのであって、後者は、「過去」の刻印としてあるのではなくて、いわば「過去」という概念(?)を醸造(??)するというか、いつだって「今」でしかない「現在」に「過去」というサブカテゴリを外挿する、というようなことをしているのだ、他ならぬレコーディング・テクノロジーの助力によって。 ・話を戻すと、たとえばあるフリージャズの名演と、そのライヴ盤があるとして、前者を後者に対して、いかなる意味でも優位に置かない、という大谷君の姿勢には、完全に同意する。ところでしかし、今日のレクチャーでもほの見えていたと思うのだが、彼の論議は、「記録=作品」というイコールを、僕が思っているよりも強力に含意しているようにみえる。むしろ「記録」されることでそれは初めて「作品」となる、とでもいうような。そこがとても興味深いのだが、それがたとえば、どっちにしろそう考えるしかない、とか、そう考えたほうがイロイロな面で健康的だ、とかいったことだけではないのだとしたら、もう少し説明が欲しいところだと思える。 ・それはつまり、大谷君的な「作品」の定義を、もちょっと明確にして貰えたら、ということだ。たとえば、その「作品」とは、「商品」という概念とは、どんな風に重なっていて、またどこが重なっていないのだろうか?。というのは、(当時としては尚更のこと)アバンギャルドでアンダーグラウンドなフリージャズの演奏がレコード化される、ということの背景には、それを可能にするコストの問題やインフラの整備や、それらが市場に流通するための様々な具体的条件が関わっていた筈だからだ。こんにち、われわれがアルバートアイラーの『スピリチュアル・ユニティ』を「記録=作品」として享受することが出来るのは、60年代前半に、彼の演奏が「記録=商品」として生産されるだけの条件が揃っていたからであり、またそれを実際に行なう誰それの意志が存在していたからだ。それはまず第一に、一回性の事件としての演奏を「記録」しておきたい、という欲望であり、次いで、それが可能になる経済的/商業的な状況がとにもかくにも存在していた、ということだ。 ・つまり、この時点では少なくとも「作品」という概念はまだ登場していないか、あったとしても相対的にはまだ希薄であった筈だ。今のところ披瀝されている大谷君の論旨だけだと、一回性の出来事の「記録」でしか(この「でしか」という書き方はちょっとトリッキ−だけれど)なかったものが、「商品」というファクターも押さえつつ、どのようにして「作品」へと変成されるのか、というプロセスが、イマイチまだ詳らかではないような気がする。それはちょっと「記録=作品」というイコールを現在のわれわれがそれをほぼ自明のこととして理解しているという事実を、あらかじめの前提にし過ぎているような感じがするのだ。大谷君はいよいよ5月(?)に初の単著が出るということで、今その書き下ろし部分に取り組んでいる最中だそうだが、このあたりのことがより明確かつ詳細に論述されていることを期待したいと思う。 ・対する木村さんのレクチャーは、「映された(=記録された)身体表現」をキー概念として、かなり大掛かりな歴史的なパースペクティヴを持った話のようだったのだが、時間があまりにも足らなくてちょっと断続的な感じになってしまい気の毒だった。それでも土方巽の秘蔵映像は面白かったし、ご自身の記憶に根ざした「暗黒舞踏=テレビの戦隊モノ怪人説」はすごく興味深い視点だと思った。急な坂のレクチャーでも触れていた手塚夏子の「私的解剖実験3」は、やっぱり極めて刺激的な試みだと思った。このあたりのことについては、こないだの岡田利規トークのエントリの続きでまた書いてみたいと思っているが、ひとつだけメモを置いておくと、レクチャーの中では「記録」された行為の「トレース」という言葉が使われていたけれど、僕はむしろ「トレース」ではなく「リプレイ」と呼んでみたいと考えている。 ・終わってから別会場のランチ・ミーティングに参加、色んな方と軽くお話をした。それからマン喫を探して仮眠したいという大谷君と一緒にとりあえず丸ビルホールの楽屋に行き荷物を置かせてもらい、リハーサルの時間に戻りますと舞監の方に言い置いて、大谷君とはとりあえず別れて、有楽町までブラブラ歩いたりして時間を潰して、2時半過ぎにホールに戻ってリハを見学したりして本番までの時間を過ごす。 ・で、ようやっと「JOYFUL CALCULATION」本番。このプログラムの趣向で、演奏の合間合間にちょっとずつテキトーにお喋りをした。杉本佳一、D.V.D.、PARA、どのパフォーマンスも素晴らしくて、このラインナップにして本当によかった!!!と心から思いました。これまた見本市という性格上、それぞれの演奏時間が30分足らずというのはミュージシャンの方々にも観客の皆さんにも申し訳なかったけれど、とりあえず個人的にも大満足で、大きなトラブルもなく無事に終了、みなさまありがとうございました&おつかれさまでした。
by ATSAS
| 2007-03-06 22:14
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